スーパートリビア商會開設
その契機について(抜粋)

長崎生活文化研究会顧問 大上正稔


二百二十余年にわたる鎖国政策下で、唯一外国との交流窓口であった長崎出島。1904(明治37)年、その扇形の出島は周辺一体の埋立て工事などによって、その長い歴史を終えた。
その折、出島解体現場に従事していた一人の雑役夫が奇妙な地下石蔵を発見した。幕府に提出されていた出島見取図にもその存在は描かれておらず、現場の指揮をしていた椎保路斗(当時47歳)は長崎縣土木課職員と共に調査を開始し調査結果を上申した。以下はその時の埋蔵品目録である。

一、酒類ボトル 六十五本
二、阿蘭陀茶臼(コーヒーミル) 七個
三、銀食器類 十七セット
四、珈琲豆麻袋 二十一袋
五、葡萄牙(ポルトガル)他外国語書籍 七百二十三冊
六、革製トランク 十二個(内容未確認)
七、柳製行李 九個(内容未確認)

目録の一部は現在、長崎県立美術館に展示され、異国から渡来した日本最初の品々として来館者に披露されているのは周知の事実である。さて、興味深いのは内容未確認のトランクと行李である。解体工事実施の明治37年は、日露戦争勃発の年であった。諸般の事情で調査は断念せざるをえなく、そのままある郷土史家に保管が依託された。その後日本は日韓条約、赤旗事件、米国での排日運動の拡大、大逆事件等を経て明治から大正へ、そして第一次世界大戦へと世情は混乱の極みにあり、その中で問題のトランクと行李は人々から忘れ去られ、その存在さえも不確かなものなってしまった。

2002年2月。一人の男性が当研究所を訪問したことから、スーパートリビア商會の開設構想計画がスタートした。訪問者は現在の本プロジェクト主催者、椎保路人氏その人である。出島解体工事当時の現場指揮官椎保路斗の曾孫にあたられる。

氏は椎保本家改築の折、書庫で見つかった曾祖父の膨大な日記を読み込まれた結果、出島地下蔵の埋蔵品についての記述に遭遇された。
そしてその後の追跡調査の結果、遂に件の郷土史家の子孫を突止められたのである。しかしながら、トランクと行李共に既に散逸し行方は定かではなかった。ここからまたもや路人氏の不断の調査が始まる。当時の県行政書類はもとより、郷土史家某氏の書簡、備忘録、史記執筆のための草案原稿等を丹念に当られ、遂に現在の長崎市船大工町の某倉庫に約一世紀を眠り続けていた埋蔵品を発見されたのである。

平成17年度に「歴史文化博物館(仮称)」開館予定の長崎において、これほどの学術的資源が発見されたのは未曾有の事であり、まさに歴史のなせる不可思議な偶然と言わざるを得ない。

最後に、郷土の歴史に携わる市井の研究者として、椎保路人氏に感謝と敬意を表し、スーパートリビア商會の一日も早い開設を願うものである。

*埋蔵品個々の詳細を紹介する本ウェブサイトは、長崎在住のプランナーH氏のサイトを間借りして発信している。ウェブデザインを含め様々な相談事を快く承諾して頂いた氏にこの場を借りて御礼申し上げる。

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