HOME > 老猫とすずめの話 > 老猫グッチのモノローグ > 我が輩はグッチである16

グッチは私の仕事場の棚の上で、今、新たな時を刻んでいます

 

10.Oct.'2002
長く親切にしていただいた獣医さんにペット霊園のあることを教わり、午前中にGONZOと二人でグッチを連れて出かけました。県民の森近くにある西彼中央ペット霊園はたくさんの緑に囲まれた静かな場所にあり、たくさんの鳥の鳴き声が聞こえていました。親切なスタッフところころ太ったシーズーが出迎えてくれました。
幸か不幸か先客があり、私達は広い庭の一角の木陰のベンチでしばらくの時を過ごすことができました。グッチの感触をしっかり掌に刻みつけてから、お気に入りだったカゴの中でたくさんの花に囲まれたグッチを見送りました。
こうしてグッチはちいさな可愛い骨壷におさめられて、我が家に帰ってきました。しばらく仏壇にお邪魔して、菊の字がお経を読んで別れを惜しむことになりました。

11.Oct.'2002
昨夕は近所の子供達がお別れにきてくれました。いつもグッチに逃げられてばかりいたちびっ子が仏壇の前でかたく目を閉じ、掌を合わせて真剣に力んでいる姿には、みんなして吹き出してしまいました。グッチもきっと笑っていたことでしょう。そして今朝はグッチの大好物だった焼きたての食パンが、ミニサイズでお供え用にと届けられました。ネットでも、これまでたくさんの方に応援していただいて、本当に、グッチも私も幸せものだと思います。
正直なところ、グッチの不在のダメージは思っていたよりも強烈です。でも、悲しいわけではないようです。むしろ、頑張ったグッチの姿が誇らしく、力強く命を全うしたことへの安堵感もあります。ただ、グッチ中心に過ごしたこの一ヶ月があまりにも濃密で、今が空っぽに思えてしまうのでしょう。あのあたたかいグッチが恋しくて、最期の時にグッチを抱いたパーカーを洗えないでいます。なんという偶然なのか、このボロパーカーはおよそ8年前にも瀕死のグッチを温めたパーカーです。グッチが長年身につけていたちいさなカウベルと共に私の宝物になるでしょう。
グッチが残していってくれたものは、私の心からこぼれ出るほどにたくさんあります。グッチに心配をかけることがないよう、一日も早く日常に戻りたいところですが、今度ばかりは焦らずに、ひとつひとつ思い出を噛みしめながら、時が癒してくれるのをゆっくり待とうと思います。

29.Oct.'2002
グッチのお墓 グッチが逝ってから20日、ひさしぶりに暖かく晴れわたった昼下がり、ほんのひと握りになったグッチの遺骨を埋葬しました。家族が毎日欠かさずに眺め、私たちの生活に一番近い針槐の根元の、そこだけは私が手作業で芝を整えるこんもり盛り上げたところに。そこは冬も芝の緑が残って、鳥たちが走り回って、遊びにくる子供たちの笑い声が響くいつも賑やかな場所です。
お墓の上にはちいさな球根を並べました。初春に淡いピンクの花を咲かせるチオノドクサ。ふと気になって花言葉を調べてみると“雪の栄光”・・・22年近く生き抜いたグッチにはお似合いの花だったかもしれません。元気に逞しく育って、芝生の間から顔を覗かせてくれることが、毎年の春の楽しみになるでしょう。
とは言え、やはり冷静ではいられるはずもなく、真っ白な遺骨のあまりにもの軽さにうろたえ、グッチがいないという現実が改めて目の前に突きつけられたようで、ひさびさに大泣き。あぁ、なんて情けない。でも、22年の重みがたったの20日で癒えるはずもない!と涙は流れるに任せ、埋葬を終えました。これからの日々、晴れた日に木陰で休憩したり読書をしたり、休日にランチを食べたり、星空や月夜やバーボンやワインを楽しんだりするたくさんの昼と夜に、花の香りや陽ざしや風に溶け込んだグッチが触れてくれるようにと願いを込めました。「さみしいだろうから」と友人がくれたお人形が見張り番です。
人が家族同然に育てた動物は、亡くなってからも35日は家にいると聞きました。名残りを惜しんで、ゆっくりお別れをすませて、35日たったら天国に帰るのだそうです。あとおよそ2週間・・・ご飯とお水と線香と、たまには好物だったパンも供えて、わが家のどこかで居眠りを貪っているかもしれないグッチをしっかり感じていたいと思います。今度こそ、笑顔で見送れるように。


これで「老猫グッチのモノローグ」はおしまいです
最後までまで読んでくださってありがとうございました
これまで応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました

お墓も賑やか!


老猫グッチのモノローグ TOP